玉城多気教室の近く、伊勢自動車道と紀勢自動車道が分岐する勢和多気JCT付近は多気町丹生(にう)といい、481もの水銀鉱跡が見つかっています。名前の通り、丹(硫化水銀(HgS)からなる赤色の鉱物・辰砂、朱砂)を産生する地がそのまま地名となっており、平安時代の「続日本紀」や「今昔物語集」にもこの地に関する記述があります。近くの遺跡から発掘された縄文土器にその痕跡が残っていることから、縄文時代から辰砂の採掘が行われていたことがうかがわれます。当時は赤色の顔料や漢方薬原料として使われていました。古墳の内壁画や、石棺の彩色に使われている朱色がそうです。かつては朱肉の顔料にも使われていました。歴史の教科書でよく見る「漢委奴國王」印でも使われていたはずです。現代では、有毒な水銀化合物に替わって鉄・モリブデン・アンチモン化合物が朱肉原料として使われていますので、ご安心ください。古文書に押印された顔料に水銀が含まれているか分析すれば、古代のものかどうか判別できますね。
硫化水銀(HgS)を含む鉱物を空気下、600℃で加熱すると、水銀蒸気(Hg)と亜硫酸ガス(SO2)に変化します。この水銀蒸気を冷却すれば金属水銀が得られます。奈良東大寺の廬舎那仏(大仏)建立にも、この地の水銀が塗金材料(金と水銀の合金:アマルガム)として使われていました。また、この地に隣接する松阪市射和町では、丹生の水銀から伊勢白粉(おしろい)が生産されていました。化学的には塩化第一水銀(Hg2Cl2)で、甘汞(かんこう)、カロメルともいいます。電気分解を勉強すると出てくるカロメル電極がこれです。昔の女性は水銀化合物を肌に塗っていたのです。水に溶けにくい(不溶ではない)ので白粉として使っていたのでしょうね。この化合物は劇物指定されていますから、現代では考えられません。
今後も、塾長ブログで「塾長の化学四方山話」を連載してゆきたいと考えています。お楽しみに。